G3の雑感録

楽隠居のブログです。映画レビューとリハビリ日記が中心です。

When I’m sixty-four(3)

仕事のこと(その1)
 僕はものづくりが好きだったということもあって根っからの理系人間で、大学を卒業して東京の電機メーカーに就職した。でも、ロボットをやりたいと思って希望を出したら、ロボットの研究開発の部署「4.1研」の隣の「4.2研」(ソフトウェアの研究開発)に配属されてしまった。なんせソフトウェアなんで、作った“もの”が見えない。大学の卒業研究ですらパソコン(当時は98レベル)で書けといわれたのに拒否した僕は、上司にソフトウエア技術者検定(正式な名前は忘れた)を受けろと言われたけど、「ソフトウェア技術者になるつもりはありません」と言ってそれも拒否。ただ、先輩にレポートなどをデータで残す重要性を説かれて、コンピュータ(当時はエンジニアリング・ワークステーションの端末)を使うようになったのだった。一応部署にはMacもあったけど、そんなに興味はなかった。
 しかし、当時進めていた趣味のマンガの投稿がうまくいきかけたこともあって、会社生活はそれなりに楽しかったんだけど、結局3年弱で退職してしまった。それからは、求人広告のイラストのバイトをしながら“持ち込み”を続ける生活。そのころに付き合い始めた女性(元同僚)と結婚を決意した僕は、ちゃんとした稼ぎがないといけないと思い、何より彼女の父親がガンで胃を切除することになって、彼女の実家に近い自動車メーカーに再就職(転職)することにした。当時技術系は引く手数多で、有名なメーカーだったけど、すんなり入れたのだ。同じ部署に東大出身のMac使いがいて、そいつがドキュメント作成用にMacを大量に購入し、Macを主力に使うようになった。
 ところがそのころ、彼女の両親にも挨拶して親しくなっていたにも関わらず、彼女と別れることになって、漫画家になることも彼女のためにあきらめたのに(まあ、都合のいい口実にしてたんだけど)、こんな殺風景な街で働くことがイヤになって、僕は会社を飛び出して、大学の友だちと旅をしたことのある北海道に逃げることにした。
 北海道ではヒッチハイクで回っていて、残り金が10万になったら牧場ででも働こうと思ってたんだけど、残りが15万になったところで温泉の脱衣所で財布を盗られて、それで根性を完全に喪失した僕は、秋アジ(シャケ)の加工場でバイトして、帰りの旅費だけ稼いで長崎の実家に帰ってしまったのだ。実家に帰って母親に泣かれたときは、僕はつくづく親不幸な男だと思った。

 長崎に帰った僕は、別れた彼女と母親への罪悪感から、こんな男に金を持たせたら碌なことはせんと思って、給料が安そうな地元のタウン誌の編集部に入社した。結果、雑誌ではあるけど、「ものづくり」の仕事には戻ったのだ。
 会社では本誌編集のあと、ストックした情報を集めてガイドブックを作る別冊編集の仕事を任されるようになった。この部署では、九州の各タウン誌の編集部と共通のテーマでガイドブックを作るタウン誌ネットワークの仕事もした。ここで福岡のタウン情報誌の仕事を見て、編集と営業がきっちり分かれてる福岡の仕事ぶりを目の当たりにして、福岡は進んでると感心したものだ。

(つづく)