G3の雑感録

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When I’m Sixty-Four PART4 「炎のランナー」【映画評/ネタバレ注意】

アマゾンプライムで観イギリスのスポーツ映画「炎のランナー」(原題;Chariots of Fire≒炎の戦車)。NHK大河「韋駄天」のヨーロッパ版みたいな感じで、真のイングランド人になろうとするユダヤ人と神のために走るスコットランド人牧師神のために走るスコットランド人の、実在の二人のランナーを描いたイギリスのドラマ映画。
後の牧師になるハロルドが入学するケンブリッジスコットランドエディンバラから、一方のユダヤ人はロンドンのシティにある有力な銀行家の息子。だれが見てもエリートなのだが、その実、エイブラハムスという姓が示すとおり、彼はユダヤ人である。英国エリートの「インナーサークル」からは疎外される存在。
ロンドンのシティにある有力な銀行家の息子。だれが見てもエリートなのだが、その実、エイブラハムスという姓が示すとおり、彼はユダヤ人である。英国エリートの「インナーサークル」からは疎外される存在。
寮の舎監はそうはいかない。権威として伝統と慣習を押し付けてくる。ユダヤ人としての自負と劣等感を併せ持つ後の牧師・ハロルドはそれに反発、陸上競技にのめりこむ。

「韋駄天」の主人公・金栗四三は熊本の肥後もっこすから猛勉強して名門・早稲田大学に入り、背景が異なる3人は1924年パリオリンピックで戦うことになって行く。

後の牧師のはハロルドの3歳年下、父はプロテスタントでも急進的なスコットランド長老派教会の宣教師。エリックは父の布教先の中国・天津で生まれた。スコットランドに戻り、若くして司祭補となって将来を嘱望される一方、彼には誰よりも速く足る天分があった。「走るとき神の喜びを感じる。走るのをやめることは神のみ心に背く」。エリックは神に近づくために走り、そしてハロルドに勝った。
失意のハロルドは窮地から逃れるべく、サム・ムサビーニというアラブ系のコーチに指導を仰ぐ。ムサビーニは「レースは果し合いだ」と勝利至上をむき出しにするプロのコーチ。厳格にアマチュアリズムを貫く英国陸上界の鼻つまみだ。
ハロルドはケンブリッジの教授たちからムサビーニの指導をうけることを止めるよう諭される。「アマチュアの道に徹してこそ価値ある結果がうまれる」「エリートにはエリートのやり方がある」
しかし、ハロルドは権威むき出しの彼らに反論するのだ。「あなた方が望んでいるのは神のような無作為の勝利だ。それは子どもの運動会でいうことであって偽善に過ぎない」
ハロルドが乗り越えなければならなかったのは、アマチュアリズムという近代スポーツの持つ権威的な価値観である。

マチュアリズムは19世紀の英国で生まれた概念である。上流階級が創り、階級構造を守るため、競技大会への参加資格として用いられた。産業革命により勃興した労働者階層排除の論理といってもいい。

一方、明治期に高等教育機関や軍隊から始まった日本の近代スポーツには受け入れられやすい思想であり、長らくアマチュア絶対主義がこの国のスポーツ界を支配した。それは多分にフェアプレーやスポーツマンシップとアマチュアリズムとの混同があり、アマチュアは高潔であって、金銭が絡むプロは不純と断じられた時代もあった。
もはやそうした"アマチュア信仰"は崩壊したといえなくもないが、一方で、スポーツ界はそれに代わる倫理をいまだもってはいない。スポーツガバナンスが真剣に考えられている昨今、ハロルドの苦悩は依然、続いているのかもしれない。

炎のランナー